日本経済悲観論の証券マン
私は野村證券に2004年に入社しました。2004年というのは、小泉政権真っ只中で、2003年に日経平均が7000円台の市場最安値で底を打ってから、2006年まで短い期間ですが、景気拡大を期待し、日本株も上昇していく過程の時期です。
私も入社してから2006年までは日本株営業(投資信託も含め)を積極的に取り組んできました。しかし2006年に小泉政権が終わってからは一気に日本株悲観論に変わりました。理由を今までのブログでさんざん述べてきたので(笑)、ここではさておきますが、そこから2008年9月(リーマンショックの一日前)に野村證券を退社するまでは、ひたすら中国、インドなどの新興国強気論者です。これで4年半の野村営業時代にはお客さんにたくさん儲けてもらいました。
ただ2006年から日本株悲観論を積極的に、しかも堂々と顧客に伝えることが私にとっては当たり前だったのですが、日本株を重んじる野村證券(もちろんすべての人間ではありませんが)には、日本株を売り推奨する私は「悪」とも受け取れたと思います(笑)。
具体的に言うと、日本株資産を保有していればほとんど売ってもらうことを推奨し、また信用取引をする顧客には「空売り」をどんどん推奨しました。売却した人は、今の株価を見れば喜んでもらえますし(当時の株価を覚えていることが前提ですが)、それをしていなければ1億円損をしていたという人もいます。
2006年頃からは新興国ファンドを2年以内の投資で数千万円の利益確定して、それをそのまま(1億円)一気に債券にスイッチしたこともあります。為替を除いて、リーマンショックを免れることができました。
何を言いたいかというと、日本の会社にはいろいろな「しがらみ」があります。銀行で言えば株の持ち合い、証券会社で言えば、主幹事になっている国内企業の株を推奨することです。ただこれらの「しがらみ」は個人投資家からしたら何の関係もないことです。取引先の企業との関係を保つため、日本の証券会社の代表というメンツを保つために、日本株を推奨されて、それを信じてその銘柄(株)を買い、損をしたのではたまったもんじゃありません。
だから私は当時からダメなものはダメと言います。数字は出していたのでそれは除き、こういったハッキリとした言動自体、サラリーマンとしてはダメかもしれません(笑)。きっとだからサラリーマンを辞めて、自分で投資アドバイザー(投資助言業)として独立したのでしょう。
同じ日本経済悲観論者である藤巻健史さん(日本の長期金利低下のポジションで儲けた)の本を読んでいてふと思い出しました。